そして第4節では清水エスパルスと対した。 清水エスパルスも3試合を戦い3勝をあげ勝ち点9、得失点差で4位だったが、全勝同士の対戦で、序盤のヤマになる試合だった。 しかし、ミョンボはこの試合に出場することが出来なかった。
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ソウル・蚕室で行われた韓国対ブラジルの親善試合のため、韓国代表チームに召集されたからである。
韓国代表対ブラジル代表。この親善試合は1999年3月28日にソウルで行われた。
自国以外の国のチームに所属する選手が代表チームに召集された場合、FIFAの規定に基づいて返す義務がある。
ミョンボは韓国代表の試合の3日前、柏レイソル対清水エスパルスの2日前の25日午後1時30分発のアシアナ航空OZ1013便でソウルへ移動した。
まだ寒い韓国の気候。蚕室スタジアムは冬枯れた芝生を緑色に着色して、この試合を迎えた。
試合は終了直前の89分に、当時ヴィッセル神戸に所属していた金度勲(キム・ドフン)が決勝点をあげ、韓国が1-0でブラジルに勝利した。
この決勝点に関してもミョンボは決定的な仕事をした。韓国の右サイドから、ブラジルが速攻を仕掛けていた状況だったが、ミョンボが鋭い読みからブラジルの攻撃をカット。素早く前線へつないだ。このボールの流れを密かに、また、確実にうかがっていたのは金度勲だった。DFよりも一歩早く自分がシュートを打てる絶好のタイミングを見計らい爆発的なフリーランニング。ここにボールを合わせた崔成勇(チェ・ソンヨン=ヴィッセル神戸・当時)も見事だった。金度勲のシュートはグラウンダーでゴール右隅に飛び込んだ。
史上初、韓国はブラジルを破った。
この韓国対ブラジルの前日、27日の清水エスパルス戦は柏レイソルにとっては悔やみきれない敗戦になった。ミョンボのみならず、ストイチコフを欠いたこの試合。1-1の同点から延長に入った95分にCKから失点、Vゴール負けを喫した。
優勝に近づく一つの機会を逃した。
この後レイソルは、セレッソ大阪に0-3、ジュビロ磐田に0-1と破れた。
このステージ15試合の結果は10勝5敗だったが、5敗のうち3つがこの連敗中だった。
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そして2000年4月。水曜日の蚕室スタジアムでの日韓戦の3日後、土曜日。1stステージ第9節、長居競技場のセレッソ大阪戦も同様の結果になった。
韓国での代表マッチ→帰国→セレッソ大阪戦と順序まで一緒だった。
開始8分に西澤明訓に失点し0-1とリードされたが28分に北嶋秀朗が決め1-1の同点に追い付いた。
後半に勝ち越しのチャンスをうかがっていた58分、速攻から森島寛晃に決められ1-2。76分に再び森島。82分には交代出場の真中靖夫にファーストタッチでゴールを決められ1-4と3点のリードを許し万事休す。ワンタッチでボールをつなぎ突破を計る、セレッソの速攻に付いて行くことが出来なかった。
「日韓戦から帰ってきてから集中力がどうしても上がらなかった」
柏へ帰る新幹線の中、ボソッと、悔しそうに、そして残念そうに、語った。
2000 其の2 終わり
text,photo by Takahashi KENT/高橋建登 無断転載を禁じます
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