ミョンボがキャプテンとして登場した2000年シーズン。しかし、幕開けは最悪だった。
3月11日の開幕戦。柏レイソルはジュビロ磐田とアウエーで対戦。0-0から延長戦に突入したが北嶋秀朗のVゴールでジュビロを下した。しかし、この大切な試合にミョンボは出場しなかった。
開幕を1週間前に控えたジェフユナイテッド市原とのプレシーズンマッチで退場処分を受けてしまったのだった。
3月5日に柏サッカー場で行われたちばぎんカップ。後半4分、ジェフのCKの場面でミョンボが相手選手にひじ打ちを加えた、という判定だった。公式記録には「乱暴な行為」とある。この判定に対しては今でも納得がいかない。果たして、主審がしっかりとその瞬間を目撃、確認したものだったのか。もし、見たとしたならば、なぜ、反則があったとされる直後でなく、何分も後にレッドカードを示したのか。
一方のジェフもザムフィール監督が後半8分に退席処分を受けている。
本来、Jリーグを盛り上げるためのプレシーズンマッチが、開幕で主力選手、指揮官を欠く原因になってしまった。本末転倒である。
18日の第2節は東京ヴェルディ1969を1-0で破り2勝目。しかし、25日の第3節では清水エスパルスに延長1-2で破れ、3試合をで2勝1敗、勝ち点5の7位とスタートダッシュに失敗した。
そして、続く第4節の対戦相手はFC東京だった。
FC東京は1999年のJ2リーグを2位で勝ち抜きJ1に昇格、2000年シーズンからJ1で戦っているチームだった。
FC東京の前身は東京ガスフットボールクラブ。
ミョンボはベルマーレ平塚在籍中、1997年の天皇杯の準々決勝でも対戦したことがある。
この大会で東京ガスは名古屋グランパスエイト、横浜マリノスとJ1の強豪を次々と破り勝ち上がっていた。そして、準々決勝でベルマーレ平塚と名古屋・瑞穂陸上競技場で対戦した。
試合は常に東京ガスが先手をとった。ベルマーレ平塚は2度、同点に追い付いたが延長で決勝ゴールを失い2-3で敗れた。キープレーヤーの中田英寿が激しいマークに苦しんだこともあった。しかし、それ以上に全員が闘志をもって、決してあきらめずに、ひたむきなプレーを見せるサッカーが勝利を呼び込んだ。準決勝で鹿島アントラーズに1-3で破れ、大会から姿を消したもの、東京ガス旋風を存分に巻き起こした。
2000年のJ1でも、ちょうどこの時のような旋風をFC東京が引き起こしていた。
第1節 ○1-0 横浜F・マリノス
第2節 ○2-0 アビスパ福岡
第3節 ○延長 2-1 名古屋グランパス
開幕以来3試合で1Vゴール勝ちを含む3連勝、勝ち点は8。昇格後初めての試合という、極めて重要な開幕戦で優勝候補の一角、横浜F・マリノスを撃破。そして第2節から堂々の首位に立ち、前節には優勝候補、名古屋グランパスを破り、首位を守るなど、J1リーグのチームに大きな驚きを与えていた。
【続きは明日です】
text,photo by Takahashi KENT/高橋建登 無断転載を禁じます
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