2008年8月14日木曜日

2008 0814/1999の其の2の① 『勝負の世界に2位はいらない,2位にあるのは慰めの言葉だけだ』 /ミョンボ語録


 1999年11月3日。ナビスコカップの決勝戦が国立競技場で行われた。
 Jリーグの試合が行われる前日は、日立柏サッカー場、もしくは柏の葉陸上競技場で行われる試合以外、すなわちアウェーの試合は試合会場に比較的近くのホテルに宿泊するのが常だった。
 したがって決勝の前日も、試合が行われる東京・千駄ヶ谷の国立競技場の近くのホテルに宿泊することになっていた。

 ミョンボは10月6日に日立柏サッカー場で行われた名古屋グランパスとの準決勝の第2戦で、決定的なピンチを身体を張って潰し、この大会2枚目のイエローカードを受けたため、決勝戦には出場できないことになっていた。しかし、西野朗監督は前日から決勝に出場する選手達と同じスケジュールでミョンボをチームに帯同させていた。

 一方の鹿島アントラーズも守備の大黒柱・秋田豊がFC東京との準決勝第2戦で警告を受け、同じように決勝には出場出来ない状態だった。「両チームともベストメンバーで戦わせたかった」とは関係者の話だ。柏レイソルにとってミョンボを欠くことは考えられないほどの存在感があった。

 「試合には出場できないが、少しでもチームに力を貸して欲しい」という思いが西野監督にはあったと思う。また、居るだけで他の選手に不思議な安心感を与える力がミョンボにはあった。
 「決勝戦はチームと帯同してくれ」との監督のリクエストに対し、ミョンボは異存なく快諾した。

……………………………………

 11月3日。少し肌に冷たい空気が、自然と気を引き締めてくれた。
 10時半のミーティング。いつも通りに西野監督からメンバーの発表があった。
 GK吉田宗弘。DFは薩川了洋、渡辺毅、そしてリベロの位置には萩村滋則。MFはボランチに下平隆宏、バデア。攻撃型MFに大野敏隆。サイドは右・酒井直樹、左に平山智規。FWは2トップで北嶋秀朗、加藤望。

 このメンバーはいわゆるベストメンバーから3人抜けている。ミョンボの他に、GKの南雄太とMFの明神智和は来年に迫っていたシドニーオリンピックチームの予選で日本を離れていた。
 しかし、先発の11人はもちろん、ベンチ入りの5人を合わせ、計16人のメンバーは「ベストメンバーではない」、「誰々がいれば」といったネガティブなイメージを持つ選手は一人もいなかった。この時点ですでに選手達の集中のレベルは相当高いところにあった。
 そして、ミーティングの最後に西野監督はミョンボに一言、求めた。
 ミョンボはゆっくりと、かつ、毅然とこう言った。
 「勝負の世界に2位はいらない。2位にあるのは慰めの言葉だけだ

常に、スポットライトを浴びることの出来るのは1位だけなのだ」


 そして
「国立競技場に来る、黄色い服を来たレイソルのサポーター達は、レイソルがスポットライトを浴びることを期待して応援するのだ」と。

 選手の、チームの、集中のレベルを1ランク引き上げるのには充分だった。

【続きは明日です】
textphoto by Takahashi KENT/高橋建登 無断転載を禁じます

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