2000年シーズンは中盤戦に入っていた。
4月8日の第6節で京都パープルサンガを延長の末、2-1で破りチームは2位に浮上。
続く15日の第7節は首位に立つチャンスだったが、アビスパ福岡に0-2で破れ、逆に4位に順位を下げた。
それでも22日の第8節では横浜Fマリノスを延長の末、3-2で破り再び上昇気流に乗ろうかという勢いだった。
次の第9節の相手はセレッソ大阪。
昨シーズン2ndステージの0-3での敗戦の借りを返す機会が来たはずだった。
しかしそれまでのミョンボの日程はかなりハードだった。
22日(土) 試合
午後3時。柏の葉競技場でJリーグ第5節、横浜Fマリノス戦。延長3-2の勝利。
23日(日) 移動
12時40分成田発、ソウルへ移動。
24日(月) 練習
韓国代表チームに合流、トレーニング。
25日(火) 練習
韓国代表でトレーニング。
26日(水) 試合
午後7時。ソウル・蚕室(チャムシル)のオリンピックスタジアムで日韓戦。
27日(木) 移動
ソウル→成田、帰国。柏へ戻る。
28日(金) 練習・移動
10時練習、12時45分に柏出発・大阪へ移動。
29日(土) 試合
午後4時。大阪・長居競技場でJリーグ第6節、対セレッソ大阪戦。
通常のリーグ戦の試合の他に、自国の代表試合に出場しなくてはならず、また、そのために負担が増えることは代表選手の宿命なのだが、ミョンボの場合は両チームのキャプテンという立場のため、その精神的な負担は非常に大きかった。
しかも、今回の日韓戦は絶対に負けられないという試合だった。
なぜならば代表監督の去就問題が絡んでいたのである。
当時、韓国国内では代表チームの許丁茂(ホ・ジョンム)監督の去就問題を巡っての議論が沸騰していたのだった。
1998年に例を見ない公開選考会の結果、韓国代表チームの監督に就任していた許丁茂監督だったが、当時、解任すべきとの声が上がっていた。その最大の理由は、99年に行われた五輪代表チーム同士の日韓戦で1-4、0-1と連敗を喫していたことからである。
それは東京・国立競技場での第1戦を1-4の大差で落とし、韓国・ソウルでの第2戦も0-1で敗れるというショッキングな連敗だった。
今回の26日の日韓戦は許丁茂監督にとっては極めて重要な試合だった。ここで日本に敗れ、韓日戦3連敗を喫することになれば更迭される可能性は相当高かった。さらに、許丁茂監督のみならず、韓国サッカー界にとっても「負けることは許されない」試合になっていた。
日韓戦で韓国が日本に敗れた場合、監督が更迭されることは珍しくなかった。1974年9月28日、東京・国立競技場で行われた第3回の日韓定期戦で韓国は1-4で大敗を喫した。この敗戦の結果、韓国代表のコーチングスタッフのみならず、サッカー協会の幹部までが辞任した。
さらに1979年3月4日に行われた第7回日韓定期戦は1-2で韓国が敗れたが、この敗戦の後、監督が解任されている。
韓国の代表監督にとって日韓戦は、自らの墓場になる危険性を常に持っていた。
実はこの時は日本も同じだった。あちこちからトルシエ更迭論が出ていた。
「新代表監督はレイソルの西野朗監督」との見出しが有力紙を飾っていた。
【続きは明日です】
text,photo by Takahashi KENT/高橋建登 無断転載を禁じます
2008-08-27
01:00
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